—堂島川と大阪市中央公会堂が一望できる、とてもすばらしいロケーションの事務所ですね。
喜多:最近引っ越してきたのですが、この界隈はかつて福沢諭吉も通っていた「適塾」があったり、世界初となる先物取引が行われた「大阪堂島米会所」などもあったりと、日本を世界基準に引き上げようとがんばっていた人がたくさんいたんですね。僕も世界に向けたデザインをこの場所から打ち出したいと思っていたので、そういう人たちの名残があるこの地域に事務所を構えることにしました。
—実際に事務所を構えてみていかがですか?
喜多:空を見ると飛行機が着陸する姿が見えたり、少し歩くと川が流れていたりと、つねになにかが動いている感じがして、それがどこか現代的な気がします。しかもこのあたりは歴史的な側面も強いので、過去と未来がつながっている場所なのかなと思いますね。
—喜多さんは“未来”をどのように捉えているのでしょうか?
喜多:未来というものを時間軸で考えたとき、もっとも近いところに日があって、次に月があって、そして年があって。それが続いていくと100年、1000年と時間が経過していく。そうした時間軸を航空写真のように真上から俯瞰してみると、端のほうに未来が見えるのと同時に反対側には過去も見えてきますよね。すると、遠い昔に生きていた人たちのことが急に近い存在になって、こんなことができそうだなとか、あんなことはどうだろうと、未来を生きるヒントをもらえるような気がします。
—喜多さんはこれまでも暮らしを豊かにするためのさまざまな商品を生み出してきたと思うのですが、いわゆる“日常”というものをどのように捉えているのでしょうか?
喜多:私にとって日常は、土壌のようなものです。耕された土で育った植物が美しい花を咲かせるのと同じように、人々も良質な暮らしを送ることですばらしいものを生み出すことができると思います。たとえ細い茎でも土に根を張っていれば、やがて綺麗な花やおいしい実を咲かせることができる。だから、私はみんなの日常をデザインの力でよりよくしていこうと考えているんです。
—暮らしという土壌をデザインの力で耕しているということなんですね。
喜多:そうですね。日本は第二次世界大戦で80以上もの都市が焼け野原になってしまった影響から、衣食住のなかでも“住”を育むのにもっとも時間がかかりました。でも、戦争からほぼ70年。そろそろ暮らしを復元していかなければいけません。グローバル化のなかで、日本がこれからどうなっていくかは住環境の発展にかかっていると思います。
—喜多さんが大学などで後進の育成に携わっているのも、日本の住環境をよりよくする人材を育てたいという思いがあるからなのでしょうか?
喜多:理由はふたつあります。ひとつは古きよき時代の日本の文化を発達させながら、後世に継承していく必要があるから。もうひとつは、テクノロジーを中心に発展してきた現代の日本が、その先を考えないといけない時期に差しかかっていると思うからです。とくに現代の日本は価格競争だけが激化していて、暮らしを豊かにしようというマーケットがありませんし。
—最近は住まいからデザインすることが増えているという話を伺ったのですが、暮らしを豊かにするようなマーケットが日本にないからこその動きなのでしょうか?
喜多:そうですね。住まい方からデザインすることでコミュニケーション豊かな日常の暮らしを見直すことにつながるし、そうすれば伝統産業など暮らしの質を高めるもののニーズが増えると思います。ですから、家電や家具といったものだけなく、住まいをデザインしようと考えたんですよ。
—耕す範囲がどんどん大きくなっていますね?
喜多:どうでしょう。体はひとつしかないので、できる範囲でやっていきたいですけどね(笑)。シンガポール、タイ、中国政府のデザインアドバイザーを務めました。大学でも教えているので、なかなか忙しいですよ(笑)。でも、楽しいですね。デザインは人を幸せにする仕事ですから。またデザインは、刻々と変わっていく時代をキャッチしないといけない。それがスリル満点で楽しくて。時代の最先端を、少し先の未来を見るということがおもしろいんです。
—近年はデザイン視点からアプローチしていくことが、より社会的な意味を持つようになっているように感じます。喜多さんはデザインが果たす役割をどのように考えているのでしょうか?
喜多:デザインは一方通行のものではなくキャッチボールだと思っていて、生活文化や経済産業を活性化するためには、形をデザインしていくだけでなく、コミュニケーションをデザインしていくことが重要だと考えています。人と人、人と自然、人とテクノロジー、そのバランスを考えるなかで、デザインが潤滑油の役割を果たしていくのではないかと思います。
—これから日本が世界と共存していくために必要なことは何でしょう。
喜多:日本は極東に位置しますから、物を輸入することにしても高くつくし、人件費も安くありません。そうした状況で日本が世界を相手にするためには、いちばんいいものをつくる必要があると思います。デザイン性が高い、使いやすい、ユニークである。やっぱり日本は違うなと思ってもらうものを生み出していく。江戸、明治、大正、昭和、現代と続く日本の歴史のなかで、過去の人たちは世界のトップを目指していたわけですから、私たちもデザインの力で日本をより素敵な国にしたいですね。
喜多俊之
プロダクトデザイナーとして、さまざまなヒット商品を生み出してきた喜多俊之氏。1980年、「カッシーナ」より発表された椅子「Wink」や、初代シリーズから10年間手がけた液晶テレビ「AQUOS」など、代表作は枚挙に暇がない。そして、その多くはニューヨーク近代美術館をはじめ、パリ国立近代美術館やミュンヘン近代美術館など、世界のミュージアムにコレクションされている。また2011年イタリア黄金コンパス賞(国際功労賞)受賞。そんな喜多氏にとって、クリエイティブの未来はどのように映るのだろうか?